本記事はBDO三優ジャーナル2025.Apr.No,164に寄稿させていただきました内容です。
「最近の日本経済の動向と企業の経営課題」
―人的資本開示の現状と課題―
三優監査法人名誉会長 杉田 純
内閣府は本年2月17日に2024年10~12月期の国内総生産(GDP)の速報値を公表した。実質の季節調整値で前期比+0.7% (前期+0. 4%)、年率換算で+2.8% (前期+ 1.7%) であった。個人消費は前期比+0.1%(前期+0.7%)で、3四半期連続でプラスであったが、消費マインドは足踏みしており、人手不足などにより賃金上昇は広がりつつあるが、サービス価格、食料品価格の上昇が続いているため、個人消費の低迷は続いている。設備投資は前期比+0.5% (前期-0.1%)であった。これは半導体関連の投資需要や省力化に向けたソフトウェア関連の設備投資が堅調で、宿泊・飲食サービス業などの人手不足対策投資も増加したことによる。今後も脱炭素・DXなどの課題解決、関税引上げ紛争から生産拠点の国内回帰などによる設備投資増も見込まれる。輸出は+1.1%(前期+1.5%)で、石汕関連製品が増加しAI関連需要の高まりから情報関連財も持ち直してきており、インバウンド需要もけん引役となっている。とはいえ、総じて財輸出については、力強さは欠けている。本年は、中国経済の動向と米国のトランプ大統領の関税の引上げがどの程度企業の財輸出にインパクトを与えるかが大きな不透明材料となっている。輸入については、前期比-2.1%(前期+2.0%)で医薬品や電子部品の輸入が減ったことから3四半期ぶりにマイナスに転じた。
ここで、‘25年度の世界経済の状況と予想について見てみる。国際通貨基金(IMF)は、’25年1月17日に四半期に一度の世界経済見通しを公表した。’25年度の世界経済は+3.3%(前回+3.2%)成長を見込んでいる。ただし、ドル高と今後予想される関税引上げなどの政策変更がもたらす負の影響についても警鐘を鳴らした。先進国では「1強」の米国は前回見通しから0.5ポイント引上げ、2.7%成長と予想している。他方、ユーロ圏については1.0%(前回1.2%)と0.2 ポイント引き下げた。ドイツはエネルギー価格が高騰し製造業を圧迫しており0.3%(前回0.8%)と0.5ポイント低い低成長になると予想している。中国は財政刺激策の影響を見込み4,6%成長(前回4.5%)と0.1ポイント引上げている。なお、トランプ米政権の打ち出す政策の織り込みは次回以降となるが、影響は既に出始めており、世界貿易の伸び率に’25年~’26年で0.1~0.2ポイント下方修正されている。IMFは、関税引上げは貿易摩擦の激化、投資の減少、市場効率の低下、貿易の流れのゆがみ、サプライチェーンの混乱を招くと指摘し、更に、当事者国の輸人価格の上昇は政策金利の高止まりからドル高を招く公算が高いとも指摘している。特にドル建ての国債商品を輸入する新興国への打撃は大きいと思われる。
次に、上場企業の業績動向について概要を見てみる。’ 24年4~12月期の決算は’25年2月3日までに公表した企業を見てみると、6割の企業(182社)が増益となった(日本経済新聞調査)。人工知能(AI)関連、利上げが追い風の金融が伸びた。純利益が増えた企業の比率は60%と前年同期比3ポイント増えた。更に、企業の積極投資を背景に半導体製造装置やデータセンター、電力設備などの販売が伸びている。村田製作所は4 ~12月期の純利益が前年同期比15 %増の2, 013億円でデータセンター向け電子部品が伸びた。半導体試験装置のアドバンステストも’25年3月期の純利益見通しを前期比2.7倍の1,675億円へ引き上げた。金融は日銀の利上げ、少額投資非課税制度(NISA)の普及が追い風で、大和証券グループ本社は4~12月期で52%増益であった。他方、減益や赤字となった企業も119社と集計対象の4割となった。電力・ガスは資源価格の変動や円安による輸人採算の悪化から、東京電力HD、東京ガスが減益となり、中国の鋼材の過剰生産から市況が厳しい東京製鉄は24%の減益となった。製造業や輸出関連企業にとっては、懸念材料はトランプ米政権の関税政策であり、トランプ大統領はカナダ、メキシコ、中国へ関税引上げを通告した。自動車部品大手の東海理化は生産拠点を米国に戻すなどの対策を考えているが、報復関税もあり、状況は刻々変化する可能性もある。いずれにせよ村田製作所のタイ、フィリピンなどへのサプライチェーンの複線化も必要となりそうである。小売業について見てみると、セブン&アイHDの’24年3~11月期では純利益が前年同期比65%減の636億円であった。主力のコンビニ事業が不振で不採算店の閉鎖の特別損失もかさんだ。エービーシー・マートの’24年3~11月期の純利益は前年同期比15%増の341億円でありインバウンド販売が好調、ハンズフリー靴、ジャケットの高価格品が好調であった。ホームセンターのDCMHDは’24年3月期で営業利益前年同期比18 %増の278億円、営業収益も16%増の4,169億円であった。断熱カーテンなど夏物が継続して売れた模様。飲食サービスを見てみると、ハイディ日高は’24年3~11月期の単独決算の税引き利益が前年同期比8%増の27億円であった。売上高は好調で、配膳ロボットの導人などで生産性は向上している。サイゼリヤの’24年9~11月期の営業利益は前年同期比13%増で物価高の中で低価格を維持し客数を伸ばした。
ここで、小売り、飲食サービスに関わるクレジット決済額の消費データ推移(ナウキャスト社分析)を見ると、’24年の消費はモノが前年比-0.2%、サービスは+0.7%であった。モノでは消費減速は家電などで目立ち、気温が高く、衣服、身の回り品-3.3%、医薬品・化粧品は+2.6%であった。サービスは外食が+4.6%で好調だが、前年の11.8%増加からは減退している。低調なのは旅行消費で-11.7%と2年連続のマイナスとなっている。いずれにせよ、国内の個人消費は力強さに欠けていると言える。
ここで、人的資本開示について、上場企業の現状調査から今後の進め方について述べることとする。ご存じのように、政府は’23年3月期以降の有価証券報告書から従業員個人の知識や技能を資本とみなす「人的資本開示」を義務付けている。人的資本開示の動向としては次の通りである。①既に欧米では、従業員を「付加価値を生み出す資本」と捉え、財務情報だけでは測れない企業価値を見る重要な要素としている。② 企業への開示義務は6項目で、「従業員の状況」では女性管理職比率、男性育休取得率、男女賃金格差などであり、数値明記も義務付けられている。つまり、女性活躍の推進や男女共に働きやすい職場環境は付加価値の高い商製品・サービスを生み出すという考え方である。③「サステナビリティ情報(新設)」では、人材育成方針、社内環境整備方針、人的資本や多様性の測定可能な指標と目標の積極的な記載が求められている。多くの企業では、「人材版伊藤リポート(’22年5月)」や「人的資本可視化指針(’22年8月)」などの開示基準等を参考に相当量の人的資本関連の開示を進めてきている。
’24年6月に「人的資本経営コンソーシアム」から上場企業の人的資本開示についての調査結果報告が行われており、今回はこの報告における、現在の人的資本に関わる課題について述べることとする。(一)動的な人材ポートフォリオの取組状況と課題、(二)人事部門の強化、①人事部門の強化の具体的対応策を実行している企業は(21.6%)、議論しているが対応策未検討が(27.6%)、(三)強化の取組の方向性、半数以上の企業が人材情報基盤の整備(65.9%)、人員の増強(53.3%)、組織体制の改変(53.3%)を実施している。(四)人事部門の課題として半数以上の企業が企画機能の不足 (51.7%)を挙げ、要員数の不足(44.8%)と人材情報基盤の活用(39.8%)、と続いている。(五)人的情報基盤の整備に取り組む企業が6割を超え、検討段階を含めると8割を超えている。ただし、情報基盤の整備が成果創出につながっているという企業は少ない(4.6%)、人材情報基盤についてデータ取集・更新する仕組みが不十分(59.0%)、収集したデータの記載感や粒度が整っていない(47.9%)などの問題があり活用ができないと考える企業が多い。
次に人的資本経営に関する開示についての報告では、(一)人的資本について発信や対話を行っている企業は、月1回以上程度が(25.2%)、四半期に1回が(44.4%)、半年に1回が(17.0%)であった。なお、発信や対話の場では、I R資料で(88.1%)、企業サイトで(74.8%)、個別の投資家との対話で (74.8%)、投資家向けイベントで(63.7%)であった。(二) 統合報告書、有価証券報告書での開示に関する状況、開示には取り組んでいないが今後開示予定が(3.4%)、法定開示項目(女性管理職割合等)のみ開示(10.3%)、他社と同様の開示をしている(35.2%)、他社には見られない独自の内容を開示している(37.5%)であった。以上調査報告で人的資本の開示の状況を確認できたと思うが、「他社には見られない独自の内容を含めて開示している企業の中で98社からは、①経営層や人事部門が人的施策を推し進められるようになった (82.7%)。②経営層、投資家との間で人的資本の論議が増加した(77.6%)。③従業員との間で人的資本の論議が増加した(46.9%)となっている。以上のことから今後の人的資本経営について上場企業は新たな視点で人的資本の各主要課題の実践を進め、また、その開示も含め更なる実践を進めて頂きたい。
人的資本の開示については、「人材版伊藤リポート(’22 年5月)を参考に取り組む企業も多い。伊藤リポートでは3つの視点・5つの共通要素で取組みを勧めている。内容としては、①経営戦略と人材戦略を連動させるための取組、②As is-To beギャップの定量把握のための取組、③企業文化定着のための取組、④動的な人材ポートフォリオの策定と運用、⑤知・経験のダイバーシティ&インクルージョンのための取組、⑥リスキル・学び直しのための取組、⑦社員エンゲージメントを高めるための取組、⑧時間や場所にとらわれない働き方を進めるための取組、であり多くの企業で参考にしながら人的資本経営の実際を現状から目標設定・実践まで進めている。
他方、現状の認識・把握から目標設定となると、数値化が好ましいし、可視化の要請にも応えられることになる。人的資本については世界的にも企業の関心は高く、現在、米国上場企業ではISO (国際標準化機構)が’18年に発行したISO30414での開示が既に義務付けられている。日本の上場企業でも20社を超える企業が認証を取得している。ISO30414は、人的資本経営を推進し、その成果をステークホルダーに開示するためのガイドラインとしても専門家に注目されている。ISO30414 は世界発の人的資本報告に関する国際標準規格として誕生し、コスト、ダイバーシティ、リーダーシップなどの11の項目 (領域)、58の指標(KPI)から構成されている。最近でも三井物産、日清食品HDなどが認証を取得している。ISOの測定項目を見てみると以下の通りである。①コンプライアンスと倫理(苦情件数、懲戒処分件数、倫理に関する研修など)、② コスト(総人件費、外部労働力コスト、平均給与など)、③多様性(労働者の多様性、リーダー組織の多様性)、④リーダーシップ(統制範囲、リーダー開発) ⑤企業文化(エンゲージメント、定着率)、⑥健康経営(業務上の負傷、事故、労働災害の発生件数など)、⑦生産性(一人当たり売上・利益、人的資本の資本利益率)、⑧採用・移動・離職(ポジションごとの適格候補者数、現在と未来の人材の充足度、内部異動率、自発的離職率など)、⑨スキルと能力(総教育費、教育活動、カバー率、準備率など)、⑩労働力の確保(従業員数、フルタイムとパート常勤人数など)である。現在この’18年版ISO30414は改訂作業が行われており、今後サステナビリティ報告との整合性強化、人権や労働組合に関する指標が追加される模様である。また、Al関連の要因に関するマテリアリティをリスクと機会として協調されるようである。なお、’25年度改訂版では気候関連財務情報開示を意識し、「ガバナンス」、「戦略」、「指標及び目標」の枠組で報告を行うことも記載される見込みである。以上、ISO30414の改訂版の公表は’25年中に行われる予定である。
人的資本経営の重要性は高まるばかりと思われ、機関投資家の注目項目でもあることから、今後の人的資本開示には一層の注力が望まれる。