企業と自然の「境界」について - TCFDとTNFDの違いと筆者の雑感
サステナビリティ経営に関する本コラム「経営環境」編は、最終回の第3回を迎えました。今回のコラムでは、「サステナビリティをめぐる企業と自然との接点または境界」が、変化していることについて述べたいと思います。
1.温室効果ガスの排出量把握に関わる「境界」-Scope3を含むサプライチェーン排出量
気候変動に関する情報開示の取組(TCFD)が始まった2015年以降、地球温暖化対策の一環として、各事業体による温室効果ガスの排出量把握と排出削減、その開示が進められてきました。この動きは、事業者自らの温室効果ガス排出量だけでなく、事業者の購入や販売など、事業活動に関係する全ての排出量へと対象が広がっています。
この拡大には、排出量の大きな段階や排出削減のポテンシャルが大きい部分を明らかにする意味があり、サプライチェーン排出量は、Scope1(事業者自らの温室効果ガスの直接排出)、Scope2(他社から供給された電気、熱・蒸気の使用に伴う間接排出)に加えて、Scope3(事業者の活動に関連する他者の排出)の排出量を全て含みます。
このサプライチェーン排出量の把握にあたっては、継続的な排出量の管理や透明性の高い情報開示が必要です。裏返して、経営者の皆様にとって、自社の算定対象範囲として、どこで「組織境界」を線引きするか、という悩ましい問題があります。
「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定に関する基本ガイドライン」(環境省 経済産業省)では、「組織境界」の設定方法として、「支配下」の事業からの排出量を100%算定する排出量の連結方法を想定し、自社以外の上流・下流の区分を15のカテゴリーに区分し、区分ごとに算定方法を示しています。
一方で、サプライチェーンの境界には、個別具体的なケースで、様々な考え方があり特定の方法に限定することは困難な場合も少なくありません。例えば、カテゴリー5(事業から出る廃棄物)では、プラスチックなどがリサイクルされた場合の算定対象について、リサイクルの準備段階までの排出量を対象とするのか、リサイクル処理プロセス全てを対象とするのかなど、引き続き検討が必要であることが求められています。
2.人間を含む生物多様性との「境界」― TNFDに関連して
いま、この温室効果ガスに関わる地球温暖化対策の要請は、健全で持続的な生態系に対する、組織の依存とインパクトの識別と評価へと拡大しています。これは、社会と経済の繁栄とレジリエンス(大きな外力に耐え忍び、被害から迅速に回復する力)は、自然とその生物多様性の健全性とレジリエンスにかかっているという考え方を基にします。2023年9月に最終化された「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の提言」では、「健全な生態系は、コミュニティの生き残りのために不可欠であり、ビジネスや金融がキャッシュフローとリターンを産む基盤としても機能する」と明記されています。
この根底には、自然はもはや企業の社会的責任(CSR)の課題ではなく、気候変動と並ぶ中核的かつ戦略的なリスク管理の課題であるという危機感があります。現在までに、気候変動に関連するTCFDという情報開示の取組みは、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)に引き継がれ、TNFDの提言は、TCFDとISSBの国際サステナビリティ開示基準との文言や構造とも整合しています。今後、TNFDに基づく取組みが、企業に求められることになるでしょう。
3.TNFDに関連する「境界」−企業と人間を含む生態系との「境界」
現在、Scope3を含むサプライチェーン全体における自社の気候変動に取り組まれる経営者の方々は、TNFDの取組みは、その延長線上にあるとお考えになるかもしれません。
しかしTNFDが定義する自然が、より広い概念であることに留意が必要です。TNFDにおいて自然とは、自然界を指し、人間を含む生物の多様性、生物間の相互作用、環境との相互作用に重点を置き、陸・海洋・淡水・大気という4つの領域で構成されます。
この自然を対象に関連課題を特定し、評価・管理することは、気候への対応とは異なる側面があります。気候変動は、一つの大気圏で起きる地球規模のプロセスです。この特徴により、気候変動に対処するため、世界的な政策とビジネス対応が求められるに至りました。一方、自然への依存関係や影響は、全地球を対象としながらも、地域や各々の状況に応じた評価や対応が必要となります。
企業がTNFDの提言に基づき、自社のサステナビリティの取組みについて、「ガバナンス」、「戦略」、「リスクとインパクトの管理」そして「測定指標とターゲット」を開示しようとするとき、「自然との相互作用がどこで起きているかを理解すること」は、自然関連課題を特定し、評価・管理する上で、最も重要な課題です。
もちろんTNFDにおいて、「バリューチェーンの上流と下流の自然関連課題を正確に測定することが、現時点では組織にとって困難な場合がある」ことが指摘されています。その上で、「データと分析の改善と技術革新により、上流から下流までの自然関連課題に対する測定指標の報告が、将来的に容易になることを期待する」と述べるとともに、そこに至る「最初の段階としては、地域に特定して適用されるものではないが、セクター別や国別に自然関連課題を推定するための平均値などの二次データを用いて、自然関連課題を推定する」ことができるとしています。
そのような影響測定の方法論が様々あるとしても、自社のバリューチェーンが自然との相互依存関係持つ範囲について、「組織境界」をどのように区切るのかは、とても悩ましい課題になると、筆者は考えます。
例えば、できるだけ開示と説明がしやすくなるところに境界を引きたいという気持ちがあり、または、人間を含む生物多様性の視点から、影響が大きい領域まで含めようとする考え方もありそうです。
筆者は、その「境界」の選択には、企業の成り立ちとしての風土や経営者の考え方、より大きな視点では、地域や国の特性が影響すると思います。
4.なぜ北欧諸国は、SDGs達成度が高順位なのか
持続可能な社会への目標を設定したSDGsですが、毎年公表される達成度として、上位には北欧諸国が並びます。2023年度、一位はフィンランドで、二位はスウェーデンでした(日本は19位から21位に後退)。一般論として、北欧諸国がSDGs上位にランクされる理由として、「自然の面積に対して人口が少ないからであり、人口密度が高い日本とは違う」と言われることがあります。
たしかに、我が国と北欧諸国の人口に、大きな違いがあるのは事実です。一方、スウェーデンでは、科学と観光の双方から、1909年に、自然環境を保護するために国立公園法を可決(日本は米国を手本に、1931年に国立公園法を制定)。また1999年には、16の環境品質目標を制定しました。この目標は、例えば、太陽のアイコンには「1. 気候への影響の軽減」、黒字に黄色の線で花が描かれたアイコンには「16.多様性に富んだ植物と動物の生活」など、現在のSDGsの基とも言えるような目標が描かれています。
スウェーデン人に、「なぜ、SDGsで高ランクなの?」と尋ねると、「昔からやってきたことだからね」と、こともなげに答えます。
筆者は、在日大使館や当該国の外務省より特別協賛を頂き、また笹川財団の支援を受け、日本の地方行政と連携して、スウェーデンやノルウェーの自然と人の関わり、男女平等などの歴史や文化に関連して、日本の地域や高校生などへのクロスカルチャーの取組みを企画し、運営した経験があります。
その経験を通じて、とても印象的なことの一つに、スウェーデン人に、自国ついて紹介を求めると、自国を一言、「母なる大地」と呼んだことがあります。
また川が流れる首都ストックホルムでは、朝早くから釣りをしながら会話を楽しんだのち、出勤する人々。街中であっても、自然を求めて、木立の中に一人で憩う人々の様子を目にします。スウェーデンだけではなく、北欧諸国では、総じて日々の生活の中で、人々が、自然と共にあります。このような考え方は企業においても、サプライチェーンと、気候変動や自然との依存関係の判断などに、暗黙のうちに影響を及ぼしてゆくかもしれません。
またノルウェーは、サーミを、「正式に」先住民族として認めている北欧諸国でも数少ない国です。筆者が、ノルウェーでサーミのお宅を訪ねたときに、エネルギー政策による水力発電ダムや風力発電の風車建設により、伝統文化であり、現在も生業とする人たちもいるトナカイの放牧ができず、政府へ抗議を行っているという話がでました。経済と生態系の相互関係には、北欧諸国であっても、このような課題があり、これも現実です。
一方で、事実なのは、サーミに限らず世界には先住民族がいて、彼らは、歴史の中で自然との共存を実践してきた人々であることです。TNFDでは、「先住民族と地域社会、彼らが有する知識、地域社会が主導する慣行を通じて、生態系の保護おいて非常に効果的であることを証明してきたこと、しかし彼らは、自然損失よる悪影響を特に受けやすいこと」を明記しました。TNFDは財務情報の開示という取組ですが、人間を含む生態系に関わる一つの問題として、これまでの財務情報にはない視座を社会に問いかけていると感じます。
5.2050年、自治体の4割が消滅する国−その原因は、急速な人口減
2024年4月25日現在、我が国の自治体のうち、2050年前に4割が消滅する可能性があると報じられました。その大きな原因は、若年女性人口の減少に起因する人口減にあるそうです。しかし日本の人口が減ることで、自動的に、小さな北欧諸国のような持続可能な社会に移行してゆくわけではなさそうです。
北欧諸国の取組は、SDGsに代表される持続可能な社会をつくる上で、一つのモデルであり、その他の取り組み方を否定するものではありません。
ただ、持続可能な社会に関する考え方が浸透し、呼吸をするように行動されるためには、長い時間と日々の生活への取り込みが必要なのではないかと思います。
6.最後に−持続可能な社会と自然に関する筆者の思い
筆者は、公益社団法人日本山岳ガイド協会の認定ガイドライセンスを持ちます。そのライセンス取得のきっかけは、約20年近く前、標高3000M近い山々が、崩れ続けていく様子を目の当たりにしたことです。当時、気候変動は、人間の生活環境には、あまり影響がなかったものの、高温や豪雨など、現在に続く自然環境の変化は、高山という極限の状態では、すでに影響をもたらしていました。
この状況を誰に、知らせるべきか。筆者は、当時、グローバル・コンサルティング会社にコンサルタントとして勤務してきた経験から、企業にこそ、この実態を見てほしいと願いました。自ら山のガイドライセンスを取得し、登山のガイド業務も担いながら、現在に至ります。
自然環境の変化は、興味がなければ、見過ごしてしまうような変化かもしれません。本記事を読んでいただいた皆様には、まず毎日、自然に触れることを実践してみてはいかがでしょう。社員の皆さんにも、ぜひ、すすめて頂きたいと思います。
そこから得る実際の自然の「肌ざわり」や気づきが、机上の議論だけではない、創造性があるサステナビリティの取組を生む源泉かもしれません。
TNFDの提言を始まりに、私は、人の集まりである企業にとっても、人間を含む生態系との境界を真剣に考える動きが広まることを願います。
そして3回にわたり、記事を読んでいただいた皆様の企業が、社員の皆様とともに、持続可能な社会づくりのために考え続け、行動する企業として、社会から認められることを願っています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
守岡 伸彦
・公認会計士・MBA
・(公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド
・International Mountain Leader (UIMLA Switzerland)
・日本スウェーデン協会会員