本記事はBDO三優ジャーナル 2023. Oct. No.155に寄稿させていただきました内容です。
最近の日本経済の動向と企業価値向上の方向性
ー知財・無形資産ガバナンスガイドラインと価値創造型モデルについてー
三優監査法人 名誉会長 杉田 純
政府の経済財政諮問会議 (2023年7月20日)は、昨年12月にまとめた’23年の経済見通し(国内総生産、GDP) についての改訂値を公表した。’23年度の日本経済は低成長とインフレが併存するとされており、’23年度の実質経済成長率(GDP)は1.3%(前回1.5%)と0.2ポイント下方修正され、物価の伸びは2.6%(前回1.7%)と0.9ポイント上方修正された。
これは、主として中国のコロナウィルス感染拡大があり、半導体相場の世界的な落ち込みにより’22年度の国内総生産が想定よりも下振れしたことによるものであるとしている。
GDPの過半を占める個人消費は物価高により前年度比1.6%増(前回2.2%増)と0.6ポイント下方修正し、設備投資も半導体市況の悪化を反映し、3.0%増(前回5.0%)と2.0ポイント下げた。
他方、政府は物価の動きが強いことを気にかけており、消費者物価の総合指数は前年度比2.6%(前回1.7%)上昇と0.9ポイント引き上げた。これについてもガソリン、電気、都市ガス料金の政府の激変緩和策が物価を0.5ポイント押し下げた効果があるので、実際の上昇率は3.1%となるとしている。
以上の日本政府の見通しは、世界経済が’23年度実質2.6%で成長することを前提にしている。米国、欧州の中銀はインフレ抑制のために利上げを続けており、世界経済には減速リスクがあり、日本経済は外需の落ち込みをカバーする内需の拡大が必要と見られている。
他方、国際通貨基金(IMF)は、7月25日に四半期に一度の経済見通しを公表しており、世界経済は’23年から’24年を通して3.0%(前回2.8%)と0.2ポイント引き上げたが低い成長率ではある。’21年にコロナ禍後の急回復で6.3%成長となったが、 ’22年は3.5%と徐々に推進力を失いつつある。
’23年1〜3月期は飲食・観光などのサービス消費が堅調であったが、製造業では幅広く減速が見られ、勢いは永続しないと見ている。’23年の成長率について米国は1.8% (0.2ポイント引上げ)とし、ユーロ圏は0.9%、ドイツ0.3%のマイナス成長とし、中国5.2%、日本についても1.4%とIMFは予想している。
世界的な気温上昇による干ばつ、ロシアによる黒海経由の輸出合意停止などから穀物・食品の再高騰や先進国の金融引締めの長期化が経済に強い下押し圧力となると懸念しており、IMFは世界経済悪化の可能性は高インフレが焦点になると予測している。
他方、’23年7月28日に日銀は金融政策の修正を行った。これは、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、以下「YCC」と称する)の運用を柔軟にすることにより、日銀が現在、毎営業日に10年物国債を無制限に購入する「連続差し値オペ」の利回りを0.5%から1.0%に引上げ、長期金利の上限を0.5%から1%に事実上引上げる措置となり、長期金利は28日に一時0.575%と9年ぶりの水準まで上昇した。
長期金利が上昇したため債券価格は下落した。以上の日銀のYYC柔軟化により金利に上昇圧力がかかったと見るこでができる。米国連邦準備制度理事会は今回の日銀の政策変更は日本の海外に流出した緩和マネーが日本に戻ることも想定されることから、世界的に影響があると指摘している。
いずれにせよ、従来の日本経済の円安・株高トレンドも大きな転機を迎えたといえる。日本マネーが里帰りすると世界の金利にも上昇圧力が発生しそうである。又、国内においても、長期金利の0.5%の上昇は日本企業の経常利益を2.4%程度下押しし、有利子負債の多い運輸、不動産業では経常利益が4〜5%程度悪化すると見込まれている。
ここからは、最近の上場企業の業績見通しについての現状を記述することとする。
まず、6月段階で’23年度の市場予想の方向感を示す「リビジョン・インデックス(RI)」が’22年6月以降で最高となった。RIは、TOPIX500構成銘柄の’23年度1株当たり利益(EPS) のアナリスト予想が修正された件数を集計し、上方修正比率から下方修正比率を差し引いた値であり、この数値が7月21日現在25.6で’22年6月以降の最高水準となっている(日経新聞調査)。
製造業ではトヨタ、ホンダ、デンソー、スズキなど自動車を中心としたグローバル製造業の見通し改善が顕著である。トヨタは当初ドル円想定レートを1ドル135円から140円に円安に修正し、営業利益予想が5割増の4兆800億円とした。同様にキヤノンは’23年12月期の営業利益予想を前期比14%増の4,028億円とした。
他方、電子部品、化学などでは、スマホ需要の回復遅れで村田製作所、TDKで下方修正が、中国石化需要の回復遅れや半導体不振の長期化などで三井化学、住友化学でも下方修正が見られた。食品製造業でも鳥インフルの影響から卵、ウクライナ侵攻による飼料代、エネルギーコストの上昇などからキューピーは連結営業利益が140億円と47%減になるとしている。
一方、米国、欧州企業の’23年12月期のRIはそれぞれマイナス17.2、マイナス6.6であり、日本とは異なり厳しい状況にある。小売業については、’23年3〜5月期の決算を発表した84社では、増収企業が全体の7割になり、営業利益も15%増となっている。この業績回復の背景としては賃上げが大きい。物価上昇が上回り実質賃金は低下傾向にあるが、消費者態度指数は3月から継続して上昇基調。
ファーストリテイリングでは客単価が約9%伸び、良品計画でも一部値上げの効果が出ている。百貨店も株高の金融資産効果がら高額消費が刺激されており、高島屋は3~5月期の売上は昨年対比で12.4%増となった。またイオンでは、GMS主要8業種の内6業種(食品スーパー、映画館など)で営業利益が前年同期比で前者が89%増、後音は約2倍となった。
飲食サービス業でもサイゼリアが’23年5月期の営業利益が前年同期の3.4倍となり、ドトレス・日レスHDでも純利益が昨年同期対比で57%増加、うち日本レストラン傘下の星乃珈琲店、洋麵屋五右衛門は営業利益が昨年同期比約2.2倍であった。
ただ、好調の小売・飲食、観光サービスの中でも人手不足を起因とする人件費増、電気・水道などエネルギーコスト増、その他の資材費高騰などで営業利益を黒字化できない企業もあり、企業努力が必要な企業が多いのも事実である。
さて、ここからは日本の上場企業の過半数でPBR(株価純資産倍率)が1.0を切り、多くの企業が企業価値向上を模索している中で、重要な企業価値向上の戦略・施策について検討していくことにする。
近年企業価値向上の源泉は知的財産(知財)、無形資産へ変化しているとされている(’23年3月27日、内閣府・知財投資・活用戦略の有効な開示及びガバナンスに関する検討会)。また、同検討会から(「知財・無形資産ガバナンスガイドラインVer.2.0」、以下『ガイドライン」と称する)が公表された。
ガイドラインでは、まず、企業価値向上のためには、企業及び投資家・金融機関が相互の価値協創(対話:エンゲージメント等)を通じて、思考構造のギャップを埋め、企業価値創造に資する知財・無形資産の投資・活用を実行することが求められるとしている。
そのため、現在、企業の知財・無形資産の投資・活用における開示や投資家・金融機関との対話の内容は、「現在のビジネスモデルや事業ポートフォリオ(As is) における知財・無形資産の投資・活用状況の開示」、「研究開発費の支出額や特許の取得に要した費用」等に留まることが多く、投資家・金融機関との間で一定のギャップが生じているので、これを埋めるべく「コミュニケーション・フレームワーク」に即した協創に取り組む必要があるとしている。
このフレームワークの中で、企業は価値向上に資する知財・無形資産の活用のため自社の目指すべき姿(To be) 現状の姿 (As is)との差分を埋める戦略を知財・無形資産の投資・活用を通じて具現化していくことが必要である。そのため第一に、以下の「知財・無形資産の投資・活用戦略における5つのプリンシプル(原則)」に基づく取組みを行う必要があり、結果として相互理解も深まる。
▶ 1. 「価格決定力」あるいは「ゲームチェンジ」につなげる
企業は、知財・無形資産を活用した高付加価値を提供するビジネスモデルを積極的に展開し、価格決定力につなげることで、製品・サービスの安易な値下げを回避し、事業活動成果の高効率な回収や「発想の大転換を伴うイノベーションによる競争環境の変革(ゲームチェンジ)につなげることが重要。
▶ 2. 「費用」でなく「資産」形成と捉える
イノベーションで新な市場が確立されるまでの市場創成期には、ある程度赤字を覚悟してでも知財・無形資産への投資を行うことが重要である。経営者は、知財・無形資産の投資・活用は単年度の「費用」でなく「資産」の形成という発想で安易に削減の対象としない。
▶ 3. 「ロジックストーリー』としての開示・発信一企業は強みとなる知財・無形資産がサステナブルな価値創造の創出につながるか、投資家他に論理的説明が必要であり、社内外の関係者との戦略の共有化のためにも、その戦略を「ロジックストーリー」として説明する必要がある。
▶ 4. 全社横断的な体制整備とガバナンス構築
知財・無形資産の活用戦略には、幅広く全社的に統合・把握・管理し、知財・無形資産の投資・活用戦略の構築・実行・評価を取締役会がモニターするガバナンスの構築も必要である。
▶ 5. 投資家・金融機関における、中長期視点での投資の評価・支援一知財・無形資産の投資・活用は長期的な取組みであり、価値創造やキャッシュフローの創出までタイムラグがある。投資家は金融機関へは企業の取組みを長期的観点から評価し、短期的には収益圧迫があっても、その経営方針を支持し大胆な投資を理解し支援する姿勢が求められる。
以上に加えて、ガイドラインでは、現状の姿から差分を埋める投資活用戦略を「バックキャスト」型で戦略構築する必要があるが、その際、以下の7つのアクションが必要である。
▶ i ) 現状の姿の把握
自社の強みとなる知財・無形資産の現状分析を行い、自社の現状の姿(As is)を正確に把握する。
▶ ii ) 重要課題の特定と戦略の位置づけの明確化
技術革新・環境・社会を巡るメガトンレドの内、自社にとっての重要課題(マテリアリティ) を特定した上で投資・活用戦略を明確化する。
▶ iii )価値創造ストーリーの構築
知財・無形資産の価値化のための時間軸(短期か長期か)で達成のための道筋を共有化し、To beを描き、知財等の事業化を通じて、製品・サービスの提供や社会価値・経済価値を結びつける因果関係を明確化した「価値創造ストーリーを構築し定性、定量的に説明する。
▶iv) As isとTo beを照合し、ギャップ解消の知財等の維持・強化の投資や経営資源配分等の戦略を構築し、進捗もKPI設定などにより把握する。
▶v) 戦略構築・実行体制とガバナンス構築
戦略構築・実行とガバナンスのため、取締役会で投資・活用戦略について充実した議論ができること、社内の幅広い関係部署の連携体制の整備、円滑なコミュニケーションの促進や関連する人材育成に取り組む。
▶vi) 投資活用戦略の開示・発信
法定開示資料のみならず、統合報告書、CG報告書、IR資料、広報活動、工場見学などを効果的に活用し、戦略を開示発信する。
▶vii) 投資家等との対話による戦略の錬磨
投資家等主なステークホルダーとの対話、エンゲージメントを通じて、投資・活用戦略を磨き、高める。以上の5つの原則と7つのアクションにより、企業の知財・無形資産への活用投資戦略が自社の価値向上に資するものとなるよう、開示から実践、進捗管理を進めることをガイドラインは求めている。
実際には、他のサステナビリティ関連の課題と同様に知財・無形資産に関する投資・活用戦略についても「可視化」が必要であり、オムロンは「知財・無形資産の観点を含むKPIを用いた逆ツリー展開」を開示している。
その中の「知財・無形資産投資」の欄では、新規事業創造に向けた探索、新規事業に向けた自社接合技術の開発、外部からの技術導入、プロダクト・サービスデザインの強化など他7項目を掲示し、「関連指標」として、最終消費者との対話機会等の実施件数、新事業アイデアコンテストでの発表件数、CVCなどによる事業への投資額、新規事業領域における研究開発投資額や開発者数、大学・スタートアップなどへの投資額、社内ベンチャーの件数、新規事業領域における特許出願件数、脱炭素技術に関する投資額・研究開発者数他20を超える項目が掲示されている。その上で、「関連する経営戦略・施策」、「同
掲示項目の財務的影響」、「資本効率指標の分解要素」、「資本効率」としている。
以上、知財・無形資産の活用・投資で企業価値を向上させるには、投資家、金融機関等とのコミュニケーションのギャップをなくしていくことも重要であることが理解され、本ガイドラインもその点を重視して作成されている。